15号 昭和41年(1966年) 先輩訪問

アントニオ・古賀 (本名 伊藤 貞行) 歌手

三時にNHKテレビホールに到着。丁度歌のグランドショーーのリハーサル中。
忙しいなかをさいての取材である。
声をかけると気軽に応じてくれた。

何年に学校を卒業されましたか。
三十三年、四年かな。
どんな科目が得意でしたか。
そうだなあ、英語とね、それから社会かな。
苦手な科目は何でしたか。
一番得意だったのは音楽だけど、苦手なのは数学だね。
思い出に残る先生といいますと。
卒業する時まで担任だった藤枝先生ですね。
数学の先生っていうのは苦手だから・・・・・。
何かエピソードはありませんか。
明治の中学校へ入りたての頃、僕は音楽を小さい頃からずっとやってたのに、点数がずっと悪かったの。
試験をナメてたのかもしれないけど。
そんなことだとか、みんな授業やる前に野球をやるじゃない。
いつも一番最初にいって、場所をとっておいたことです。
いつも専門だったから・・・・。
歌手を志したのはいつ頃からですか。
卒業してすぐ。
小さい頃から得意だったわけですか。
子供の頃からギターをやっていたから、ギターができるから歌でも歌ってやろうかなと思って。
一番ギターを弾くのにいいのはラテンがいいと思いました。
あちこちのノド自慢にでて、それがやみつきで・・・・。
マンドリンクラブへは入らなかったのですか。
マンドリンクラブをつくったのです。
最初は四人ぐらいしかいませんでした。
僕は当時中学だった。
今のマンクラをどう思いますか。
明高のマンクラを殆ど聞いたことがないんだなあ。
卒業後すぐには何回か行ったことがあるけど、忙しくてあまりヒマがないので。
校風をどう思いますか。
僕にはあってたから好きだね。
だいぶ変わったでしょう。六年も経っていれば。
伝統は同じだと思うけど。
最後に明高生に一言。
自分の出た学校で、しかも、マンクラもあることで、名実ともに、学校をよくしてもらいたいんだ。
僕ら先輩にとってうれしい事は、後輩ががんばって学校の名がでることです。
学校のうちは勉強して、大いに頑張ってやって下さい。
早く一人前の社会人になれるようにね。
<過程15号より抜粋しました>