明々会(昭和51年卒)


明々会のあゆみ


 発足前夜 part 1

 10数年前、それは1本の電話から始まりました。
「俺達も卒業して長いこと会ってないから、そろそろ同期会でもやろうよ」
「この間も大学の校友会で何人かと会ってさ、盛り上がったんだ」
渡辺隆三からの電話でした。彼とは、中学、高校とクラスが6年間一緒でいつも私の席の斜め後ろに座っていました。
「浅草で集まろう」上野雅宏が声をかけたら、10数名もの参加がありました。
その折「あと10年もすると総明会の幹事学年がまわってくる」尾崎雄二からの提案「この際だから同期会を発足させよう」「いいね、いいね、!!!」
まだ、皆軽い乗りで幹事学年の仕事などまったく判っていませんでした。
集まった皆、高校生の顔に戻っていました。


 発足前夜 part 2

 さて、準備会を立ち上げなければ・・・浅草在住の数人が日取り、場所を決め、
同期会の準備に入りました。 「場所は、上野で串焼き屋をやっている、小池良通がいるぞ!!」「貸切でやろう」
「そんなに集まるか?」「出欠を葉書で送れば」「費用は、誰もち?」「一時立替」「とにかくやる!!!!」とまあ、どたばた、 わいわい。

 いざ準備会

 ふたを開けてびっくり!!まだ準備会というのに40数名の参加、こんなにも多く集まるとは・・・「一応、発起人代表ということで上級国家公務員の萩原秀紀に代表をお願いします」満場一致、大拍手。
彼、曰く「突然、紙(転勤辞令)がくるからその時は、よろしく」(この言葉が後日、本当になるとは、誰一人知る由はなかった。)他にも事務局、会計、など各役を決め懇親会へ・・・
ななな、なんと女一人発見!!!!!!「うちは確か男子校だったよな?」
どこかで見覚えが・・・「そうそうM氏の彼女だったよな?」「でもM氏は奥さんいたんじゃないか?」「ふとどき者!!!!」「まぁまぁ、大目にみましょう」
片や今で言う、いじめられっ子のM君(前出のM氏とは、別人)「今回の同期会に俺をいじめていたSも当然、参加するよな?」我々は思った。やつが来るならM君は来ないな・・・
しかし、「今度の同期会は、俺のためにある!!仕返しするぞー!!」なんという執念である。
「まずい」「本会の案内はM君に出すのをやめよう」 ・・・・・・・とんだ、準備会が終わった・・・・・・。


 第1回 明々会

 260名の名簿を基に早速、案内状を出し、第一回の同期会をアルカディア市ヶ谷(旧私学会館)で行いました。保坂先生はじめ、清水先生、水落先生、松本先生、その他多くの恩師、旧友が集まり総勢80名の発起会となりました。
しかし、ここでとても寂しい知らせを受ける事になりました。

        「努力と感動」

 この言葉をいつも黒板の右端に書かれていた恩師、三田行雄先生の葬儀がまさに当日、行われていたのです。開会に先立ち、全員で黙とうを捧げご冥福を心からお祈りしながら、高Vの最後の茶話会で伊豆長岡温泉1泊旅行での大宴会、はめをはずしての演芸大会、まさかと思った先生からの差し入れ(ジョニーウォーカーの赤ラベルが2本)、ここへ踏み込まれたら推薦とりけしでしゅ・・・・・
様々な思い出が駆け巡りました。合掌
 

  当日の議事

 会長、副会長、事務局、会計などを選出し、さて資金集め。会を運営するにあたり即、直面する問題です。
幸いなことに保坂先生が趣味でされている油絵を3枚もご持参頂き、なんと“不謹慎”にもオークションが行われ、素晴らしい作品に1番の高額は3万円の値がつきました。
「今回だけにしてくれよ」と保坂先生の弁。本当に申し訳ありませんでした。
会も順調に進み「あの人は、今」
ここでも悲しい知らせが何件も報告され「俺達もそんな年かァ――?????」


 明々会誕生

 会長を前記の萩原秀樹、副会長を小林祥悟、前田稲一朗、事務局長を尾崎雄二、会計を上野雅宏、会の名前を「明々会」と定めました。これには、他に上がった名前がおんな坂クラブ、50の会、クラブおんな坂(なんじゃそりゃ)etc.
結局一番無難な線かな?
後から思えば“MEIJI MEIJIの会”ちょっとかっこいいよね!!


 クラス幹事の決定

 総明会本会を10数年後にひかえ、各クラスから2名の幹事を選出することになり、ホームルーム委員を中心に考えていたところ、ホームルーム委員の出席の悪さが判ったので推薦ということになりました。
当初2年おきに開催し、5回終わると幹事年の1年前という計画で進めることになりました。


 友達の死  北村雅之氏のこと

 Aクラス幹事の北村雅之、勤め先は某女子大学で就職課課長・・・・。
自分の担当したクラス会の数ヵ月後、勤め先で倒れ病院に運ばれたが手遅れ・・・・・
通夜、葬儀とも多数の仲間に見送られ去ってしまいました。又一人、仲間がいなくなった。
卒業した生徒をはじめ、現役の学生など葬祭場を幾重にも囲んでのお別れ会でした。
「減ることは あっても増えない 同期かな」 合掌


 悲しき国家公務員、萩原秀樹の転勤のこと

 “ついにその時が・・・・・・”夜10:00を回り1本の電話、「萩原です。いやぁーーーついに紙が来てしまった」
紙とは、転勤辞令の事!!
「ついては、会長職を変わってもらえないか?君にしか頼めそうにない」
「そういうことは、幹事会にかけて決めよう」
「でも、その時にと言っても・・・・」
「だから、幹事会で!!」
生徒会本部らしい根回しにその場では電話を切っていろいろ考え、とにかく幹事会の招集をお願いしました。結果、会長の交代はしないで会長代行に前田がなることで落ち着きました。
国家公務員もサラリーマンも紙1枚で見知らぬ土地へ・・・・。
「ちょっと寂しい、自分は自営だからこの土地を離れなくていいけれど・・・」


 実行委員長選出秘話

 時を同じくして、実行委員長も決めなくてはなりません。
カリスマ性、統率力、知名度等等、私も名前が挙がっていましたが会長代行を先に受けていたのでとりあえずはセーフ。
応援団長の老川善智、生徒会長の小林祥悟、副会長の粟野祐二など名前が挙がりましたが結局、硬式野球部の山田眞也に決まり、ここに実行委員会が発足しました。そして実行委員長の第一声が

      「本当に俺でいいのか?」

満場の拍手の中、明々会実行委員長が選出され、ここに総明会実行委員会が結成されました。
とはいえ、“何をどうして良いものか”まったくの白紙状態での発足でした。


 幹事学年の恐怖、資金集めに奔走&会場探し・・・ 

 さて翌年、本格的に動く事といえば総明会の会報作りに必要な資金!!
数百万円もの資金をどうするか・・・・・。
寄付広告担当の岡本雅仁のもと部隊が結成され前年度幹事学年の方からまた、他の学年の方からの資料を頂き、寄付・広告の依頼計画作成が行われ、さらには各学年の同期会情報などが集められました。
手分けしてこれらを順に回るのですが、それぞれの予定がかみ合わず調整に事務局をはじめ、各委員会からも借り出され、あっちこっちそっち・・・てんてこ舞いの日々でした。
思うように集まらなかった事もしばしば、「範囲を広げ、外部広告も取ろう!!」
と声があがったのは、事務局側からでした。
それからというもの、御茶ノ水を中心に歩き始め、目標額になんとか近づける事が可能になり、あと少し、あと少しと声を掛けあいながら委員会の垣根を取っ払って、全員で奔走しました。
また、当日のサブタイトルを「元気な明治」というテーマに色々と企画を進め会場探し、催し物などの案を出すことになりました。会場はホテルにコネのある数人が手分けしてあたり、なるべく安く交通の便が良い、浅草ビューホテルに決まりました。


 切れた実行委員長

 さて、今年に入っての同期会、総明会の半年前のことです。出欠の葉書を出し返事があったのは、なんと30数通。開催日、1週間前に動員のための電話を掛け、やっと40名弱がリバティータワーに集まりました。
中には、今回初めて参加というやつもいて、それはそれでいいのですが、期待していたメンバーがいない!!!実行委員長の山田眞也がついに

「ここに来てないヤツは今後付き合い方を変える!!
 ここまで、一緒にやってきたメンバーに感謝する」


まずい!!実行委員長、マジ切れ!!!付き合い方を変えるって言ってもなぁ気持ちは判りますよ、判るけれど同学年だし・・・・
「じゃー皆、そういうことで!!!!」
なんと!それで挨拶終わり。
いやはや、何とも大変な同期会でした。
しかし、実行委員長のこの一言で「明々会」がしっかりとした絆で結ばれたことも事実です。彼がそれを狙ったかどうかは、定かではありませんがここに頼れる男達が結束しました。


 そして頼れる男達!!!!

 毎月2回の委員長会議、会報委員会、寄付広告集め、会場企画、事務局それぞれの委員会がその垣根を越えて活動が一層活発になり、山田実行委員長を中心に一致団結。思うに「さすが明治だな!!」
 
 会を結成し会長を決めた頃、「ほんの遊び程度にしか思ってなかった。でも今になって思えば、どんどん仕事をこなし助け合い、高校の時よりも意見を言い合い、ケンカもして現役の時は、話もしなかったヤツと真剣に語り合う!!!」
「こんな一面もあったんだ、高校の時には、大嫌いだったヤツ」
新しい発見をまた、新しい付き合いを与えてくれました。
我々が中学受験をした当時競争率は2.7倍、商売をやっているから「明治」などと言われ受験をし、補欠合格。
「何かを一生懸命にやれ!!!」初めに先生方に言われた言葉です。
3年間、あるいは6年間この言葉がやはり体の中に入り込んでいる、沁み込んでいる、そんな気がします。
明治のスクールカラー「紫紺」これは、“気高く気品に溢れる法衣をあらわす”と聞いています。
現役諸君、これからも「明治」のカラーをその胸に何事にも前向きにぶちあたってください!!!

明々会 会長代行
前田 稲一朗



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