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秋田工で全国高校ラグビー選手権優勝。明大でも1年からレギュラーとして活躍。4年時には主将として、全国大学選手権優勝。 日本代表として、ワールドカップに2度出場するなどキャップ数30を持ち、世界選抜メンバーにも3度選出された日本ラグビー界最高のウィング。1991年大学選手権決勝の早大戦、サイドライン沿いを導火のごとく駆け上がった逆転トライの鮮烈な記憶はいつまでも語りつながれている。 大学卒業後、誰もが驚いた進路を選択。当時東日本リーグに加盟したばかりの伊勢丹に進み、全国社会人大会ベスト8までにチームを牽引する。1991年伊勢丹が関東社会人リーグから撤退することを 契機に、新たな環境でラグビーに取り組むことを模索し、現役生活の全てを掛け、かねてからの夢であったシャンパンラグビーの国、フランスヘの道を選択。 日本人で初めてフランス プロ・ラグビーリーグ・ディビジョン1(1部リーグ)のチームに2000年5月の入団テストを経て合格した。2000年9月から始まったシーズンの第2戦目より先発出場を果す。2001年5月に2000/2001シーズンを終えた。 日本に帰国後、2000/2001/2003シーズンと三洋電機で活躍し、TOPリーグ元年の今季、九州に拠点を置く福岡サニックスボムズヘ移籍。チームを日本一に導く事を目標として活動中。 吉田選手が大学生であった時、ラグビー人気が絶頂であった頃からのファンの方が多く、30代以降のサラリーマン世代の男性に非常に人気が高い。吉田選手の難関を求め挑戦を続ける姿勢や信念を貫き通すプレイスタイルに共鳴している。 |
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