■たしか中学1年の秋頃、ある先輩に昼飯を「ご馳走してやる」と言われ連れて行ってもらったのが おじさんおばさんとの最初の出会いでした。 その店は錦華小学校の前を通り、道を渡ったところの米屋を右に入り、つぎの路地を又右に折れたところにありました。 |
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![]() 天丼 \500 |
■当時、まだ大学の学生食堂のメニューの中には、狸うどん35円、カレーライス80円、Aランチ150円程の値段が付いていました。「いもや」のメニューはといえば、天丼250円、海老天丼300円、お新香50円、味噌汁50円、海老100円、イカ80円、キス80円などと書かれた短冊が、壁に画鋲で留まっていました。(さすがに高Tにもなると昼飯も豪華だなアーー)などと思いながら「先輩と一緒のものでお願いします」と注文をしました。揚げたてのてんぷらにもちもちのご飯、ちょっと辛めに作ってある天つゆと味噌汁、そしてサイドメニューのお新香。 |
■今までに、天丼を食べたことが無かったわけではありませんでしたが、揚げたてのものは初めてでした。衣はサクサク、ご飯はササニシキで、もちもちぱらぱら、そして何よりそのお新香のうまさ!! あっという間に胃袋へしまいこまれた一杯の天丼、「ご馳走様!」の一言に、「ありがとうございました」と、もどされるおじさんとおばさんの感謝の気持ち。「先輩!ご馳走様でした」(いい店を紹介していただきました。) |
![]() 揚げ油との戦い |
■それから数週間が過ぎ、母親に「土曜日、練習があるから昼飯代を頂戴」と言って300円を手に天丼「いもや」の行列に並んで順番を待っていると、「天丼でよろしいですか? ごはんの量は、どうしますか?」の問いかけに迷わず、「大盛りで!!!」と答えました。時間も無かったので急いでかっこみ、お勘定を払おうと300円をカウンターの上に置き、おつりをもらうと20円しか戻って来ませんでした。けげんな顔をしておばさんを見ると、「ご飯の粒が1つ海老のしっぽについていたから、大盛り代はサービスできない。次からは、きれいに食べてね」な、な、なんということでしょうか。幼い頃からじいちゃんに、「お百姓さんが一生懸命作ったお米だから、一粒も残さず食べるんだよ」と言われ育った私には、その一粒が残っていたのが信じられなかったので、「どこについていたの?昔からきれいに食べてるよ。本当に海老のしっぽにご飯粒ついてた?」と聞き直しました。「もう流したからわからないけど、一粒くっついていましたよ」む、む、む、 (そのやりとりのおかげで集合時間に遅れ、正座が待っていました。ふんだりけったり、 とほほほほ・・・) それ以来海老のしっぽも食べるようになったのでした。 |
![]() 手作りお新香 \100 |
■それでも揚げたての天丼が食べたくて、正座を覚悟の上で、行列に並んだこともしばしばでした。 時が過ぎ大学に入ると、地方から新しい仲間がやってきて、迷わず天丼の行列に並んでどんぶりをかっこんでいる私達でした。もちろん大盛り代の話は、皆に伝えてありました。中には大盛りを超える大盛り(我々は、それを超大盛りと呼んでいました)、などという代物を頼む輩もでてきて、「本当にこいつらを紹介して良かったのかな?」と心配になったり・・・ |
![]() 今も行列ができる風景 |
■社会人になって会社の同僚とも列に並び、大盛りを頼み、変わらない味とおじさん、おばさんの笑顔に接しています。 いつの頃からか息子さんが店に出るようになり、彼とも顔なじみとなり会話をするようになったある日、見た事の無い女性がいました。その時は久しぶりだったのもあって、「あら前田君久しぶりじゃない」とおばさん。その見知らぬ女性が、「もう、前田君というお年ではないのでは?前田さんと呼んだほうが良いんじゃないかしら?」「そうね、前田君じゃ失礼かもね」そんなお二人に、「前田君で良いですよ。いつまでも」と答えました。 |
![]() 勢揃い |
■今では、天丼も500円になっていますが、おいしさも、おじさん、おばさんの笑顔も変わらない「いもや」。2ヶ月に1度くらい天丼を食べに行きますが、「いもや」の懐かしさだけではなく、「元気を貰っている」「元気を取り戻す」のに食べに行く、そんな気がします。 |
創業は? | 1971年6月以来32年間現在の場所、神保町1−22 |
手作りお新香 | 以前は、季節によってきゅうりとなす、ハクサイ。 ぬか床の手入れがきつくなってきたので、今ではハクサイのみ1回にハクサイ1ケース(6玉ほど)2〜3日分を漬ける。 |
大盛り代ただは何時から? | 「いもや」の先代の創業のとき(1957年)からずーっと。 食べ物の無い時代に育ったから、お米は農家の人たちが88もの行程をかけてつくるのだから、ありがたくいただくもの。食べ物を大切によくかんで食べる。今の日本を考えると食料自給率が40%を切っている。あだや、おろそかに出来ません。 |
揚げ油との戦い | 1日250食から多い時で350食。最盛期は、480食を出していた。健康には人一倍気を使っている。健康でなければ味がわからなくなるし、長くこの店をやってお腹のすいたひとにおいしく腹いっぱい食べてもらいたいと思っている。 |
お米へのこだわり | ささにしき、こしひかり、あきたこまちなどのお米を産地より入れている。(おかずが無くてもお米がおいしければ充分) |
古今の明治高校生について | 「昔は、カラーが強かったように思う。各学年にリーダーシップをもった生徒がかならず4〜5人はいたかな?又、日大、専大、中央、明治それぞれのスクールカラーがみごとというぐらいあったように思う。いまでもその中の何人かは来てくれるけれどカラーの残っている人は会社でも部長だったりするなぁ・・・」 |
おばさんとの出会い | 「2人ともクラッシックバレーを学生のときからやっていて、ある日パートナーとして踊ったのがきっかけ。今でも社交ダンスを週に5〜6日、2時間ほどやっている。健康作りにも役立っている」 |