明高の歴史は長い。
それでも、父子とも明高生という人たちは
決して多くない。

「現在の明高はどんな風に変わっているのだろう」
「親父が学生の頃の明高ってどんな感じだったんだ?」…
このような事を父子で話し合う事が出来る人は稀だろう。

そこで今回、一組の父子と対談をする事にした。
もちろん彼等は明高生である。

    

出席者

 父:福光登志雄 先輩
       (昭43年卒)

 子:福光真澄朗 君
       (高校V年生)

 M:「M」編集部員
       (大学4年生)

驚愕!?昔の明治は凄かった!!

:まずは、明治に入った理由からお伺いします。

:やはり「付属」というのが大きかったですね。

  当時の明治は、開成・麻布と並んで、「三羽烏」と呼ばれていましたよ。東大を受験できるクラスだったんです。

:信じられない…(笑)。

:僕の場合、母は慶応を奨めていたのですが、父はやはり明治を奨めていたので…。

  というか、第一志望落ちちゃったんですよ(笑)。でも、結果的に明治に来てよかったと思っています。

:いや、自分も早稲田落ちて明治に来た男ですから(笑)。



:では、昔と今で変わったと思われる事柄を、なんでも結構ですので挙げてみてください。

:体育祭は中高同時開催だったんですよね。

  今は別開催みたいですが…。あと、文化祭でバンドがありますよね。

  私たちの頃もバンドはあったのですが、今みたいにエレキギターなどを使うなんてとんでもない事でした。

  逆にフォークダンスなんかを踊っていましたよ。

:やはりそのようなものに対しては厳しかったのですかね。

  厳しかったといえば、昔は「教育宣伝班」というのがあったらしいですね。

:ありましたよ。服装の乱れとかをチェックするんですよ。

:確か今は先生が…。

:先生が校門のところに立ってチェックする事もありますね。

:服装といえば、鞄はどのようなものだったんですか?

:白い肩掛けバッグでした。

:白!?青じゃないんですか?

:今は青なんですか?

:青です。僕達の頃は青いバッグで、大中小の三種類があったんですよ。

  何故か中より小の方が値段が高かったんですよ(笑)。

:僕等の鞄も青ですが、鞄が改正されたんですよね。今は肩掛けバッグみたいな感じです。
    
 

:昔はやはり厳しい先生が多かったのではないですか?

:厳しかったですね。ホントにおっかない先生がいましたからね(笑)。

  先生がよく角材を持っていて、何かあると生徒をそれでひっぱたくんですよ。

:今そんな事やったら「行き過ぎた体罰」とか批判されますよ。今はもうそんな先生はいませんよね。

:たまに竹刀を持っている先生はいますが、さすがに角材は…。

  そのせいかも知れませんが、やはり昔に比べて先生が「なめられている」という感じはありますね。

:昔は先生に露骨に歯向かう事は滅多になかったですよ。

:だって角材ですからね(笑)。


:お二人とも生徒会本部に所属されていた訳ですよね。

  当時と現在の生徒会はどのように変わったのでしょうか?

:入試や文化祭・体育祭の時に裏方として働きましたね。

:じゃあその辺りは今と殆ど同じなんだ。

:私たちの時は、生徒会の連中はみな成績が良かったんですよ。

  昔はテストの順位が貼り出されたんですけど、トップ10に生徒会の連中が3〜5人くらいはいましたからね。

  生徒会は他校との交渉をする関係上、しっかりした人間が必要な訳です。

  先輩からも「成績が落ちないように!」と何度も言われましたよ。

  普通の生徒より立派にあらねば、という自負心があったのかもしれませんね。
本当に仲のよさそうな父子でした。
     
昔も今も変わらない事
と言えば…?

 
:当時と現在の校風についてお伺いします。

  また、父から見た現在の校風、子から見た当時の校風への感想などもございましたらお願いします。


:やはり喧嘩は凄かったですよ。

  私たちの少し上の代はもっと凄かったらしいですけどね。でも割と頭もよかったんですよ。

:じゃあその後段々馬鹿になってきたんだな(笑)。

:あと、基本的に先生にたてつく事はありませんでしたね。お返しが怖いですからね。

  先生を「見下す」という風潮はあまりなかった気がします。

:それから比べると、やはり現在は「硬派」な感じが薄くなった気がします。

  先生も当時に比べて丸くなった印象をうけますし…。

:でもそれはどの学校でも同じじゃないか?

  もっとも、当時でも「生徒が結託して、先生に何かをしてやろう」という事はありましたね。

  先生を教室から締め出すとか、結構やりましたしね。

:今でもたまにあるよ(笑)。

:思い出深い出来事などがございましたら。

:やはり卒業式ですね。今はなくなってしまったのですが、大学の記念館に皆が一堂に会して、

  最後は制帽をぱーっと同時に投げるんですよね。

  今は制帽がなくなってしまったんですよね。少し淋しいです。

:僕達の頃は紫色のテープを投げましたね。

:僕は中二の時の文化祭ですね。なぜか設営撤去の委員長になってしまって、周りは年上ばかり(笑)。

  それでも、仕事をやり遂げる事により、働く事の楽しさを実感する事ができましたね。


:最後に、先輩から後輩、後輩から先輩に、という事で一言ずつお願いします。

:質実剛健、これをしっかり覚えておいて欲しいですね。

  移転後は男女共学校になるという噂もありますが、もし仮にそうなったとしても、

  男子校らしさを忘れないで欲しいです。

:とりあえず、「上に誰もいないような成績」は望まないで下さい(笑)。

:うわ、きっつ!!(笑)。