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4号 昭和30年(1955年) |
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時代日本の「プロレス元年」は昭和26年、元プロレス世界チャンピオンボビー・ブラウンズら米のレスラーが来日し、大相撲から転向した元関脇の力道山らと試合をしたその年である。後昭和28年には、日本プロレスリング協会が発足。力道山を中心にプロレスブームが全国を覆った。 その決め手は力道山の「空手チョップ」。日本のプロレスはわずか三年で黄金時代を迎えた。 またこれに乗じてテレビブームが起こり、普及率はうなぎ登りに。輸入も止まり国産テレビの独り天下となった。 |
生徒会校長 大橋 留治先生生徒会長 中田 真之介 この年、本校創設者である鵜沢総明先生がご逝去なさっている。 先生は、極東国際軍事裁判において、日本側の弁護士を担当なされるために、本校を退いておられたそうである。 クラブでは、化学部と物理部を合わせて科学部が新たに創られている。 なお、柔道部は全国大会において、五位を飾っている。 |
特集特集の一つめは、「明高生を解剖する」。この一見、明高の思想教育者の大本尊、坂口エリス泰通大先生の一八番『死者の奢り』(大江健三郎著)を思わせるこの特集の内容は、単なる他校生と明高生の座談会である。 しかし、この座談会に神田警察署の少年係長さんが参加なさっているところが、今の座談会とは違うところである。 話の内容は、校風から進学・就職・高校生気風までと幅広く、当時の明高生のしっかりした考えがうかがえた。 又、「明高中今昔物語」と題して、昔の明高を知ろうとOB座談会も行っている。 |