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5号 昭和31年(1956年) |
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時代昭和31年、オリンピックは初めて赤道を越えオーストラリアのメルボルンで開催された。だが大会直前に国際事情で参加を取り消す国も出た。 競技ではソ連の進出がめざましく、各メダル数はいずれもアメリカを抜いた。 日本陸上は、マラソン5位の他はいずれも敗退したが、鉄棒・レスリングウェルター級フェザー級・平泳ぎでは見事金メダルを獲得。 同年、イタリアのコルチナで開かれた冬季オリンピックでは回転で冬季初の日の丸が揚がった。 日本が世界に頭角をあらわしてきたのである。 |
生徒会校長 良田 喜久男先生生徒会長 庄子 幸一 この年には、週五日制が廃止となり、現在の週六日制が導入されている。 また、二代校長であった大橋先生が御病気で入院なさっていたので、代理で良田先生(三代校長)が職務を務められていた。 この年写真部が創立している。また、バレー部が全国大会に出場し、三回戦まで進んでいる。 |
特集第五号の過程には「特集」というものはほとんどなく、個人個人の作文という形になっている。その内容は「夏期臨海寮の思い出」「読書について」「原子力」などで、ほとんど学校の国語表現の授業の発表会の様になっている。いわば「文集」と言っても良いくらいである。 今の過程ではこのようなことをしてしまったら、すぐに「生徒会誌かこれは!」とまっさきにクレームがついてしまうはずである。 しかし、これもかわった形式の「生徒会誌」なのかも知れない。 |