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6号 昭和32年(1957年) |
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時代中部太平洋のクリスマス島で英国は、世界初の水爆実験を実施した。この時日本では原子協を中心に活発な抗議運動がおき、日蓮宗僧侶を中心に英国大使館に中止を訴えた。 またこの年日本では東海村原子力研究所に、初めて”原子の火”がともる。一方、日本は国連安保理事会の非常任理事国に当選した。 社会では、全国で流感が猛威をふるい、なべ底景気でくらい年であった。 その中でカリブソ・ルックや家出がブームとなった。 歌では「有楽町で会いましょう」、映画は「嵐を呼ぶ男」が話題となった。 |
生徒会校長 良田 喜久男先生生徒会長 土田 延夫 体育祭と文化祭を5日(準備日も含む)間ぶっとおしで行う学校祭が行われたこの年、インフルエンザで二週間休校になっている。 また、校長権の発令により、運動・文化部が、それぞれ十ずつに整理されたのもこの年だ。 そして、硬式野球部が選抜野球大会で準決勝まで進んでいる。 |
特集この号も、第五号とさほどかわりはなく、相変わらず「文集」的なものになっている。ただ、違うところは、まず内容がより学校行事に関係しているということ。 もう一つは、先生方が書いた文章が多いということである。 中には、本年度をもって御退職なされる水落八郎先生、故新井久夫先生などというビッグネームも並んでいる。 改めて、この二人の先生の偉大さを痛感してしまった。 その他にはたいへん詳しい班部紹介ものせられている。 この頃から本格的に「生徒会誌」的なものになり始めたのだろう。 |