7号 昭和33年(1958年)

時代

旋風のように巻き起こり洪水のごとく広がったブーム現象、腰の曲がった老人まで巻き込んだそれは、フラフープである。

昭和33年10月、ヨーヨーを考案した米国のおもちゃ会社が久し振りに上陸させた第二弾も、またたく間に全国を席巻。

オーストラリアでの流行が飛び火した物という説も。最盛期には三十分間で九百本売った百貨店もあるという。

大流行となったが、東京で胃の弱い小学生が重体に陥り、また腰を痛める人が続出し、やがてこのブームも下火になった。

生徒会

校長 良田 喜久男先生
生徒会長 松井 光男

この年は、ちょうど生徒会発足十周年にあたる。

ところで、この年の高校野球大会の東京予選の決勝。

対早実戦で、一対一の同点で延長戦となったが、早実が十二回表に四点をとり、勝負あったように見えた。

しかし、その裏に明治が五点をとって、野球史上に残るサヨナラ優勝している。

特集

この号は二つの大きな特集がある。

一つは「生徒総会誕生十周年記念」もう一つは、「第四十回全国高等学校野球選手権大会出場記念特集」である。

前者は、第一代から代十代生徒会長が「私と生徒会」という題で思い出を語り、又、他校生との対談も行っている。

その題名はまたも「現代高校生を解剖する」である。

当時「解剖」という言葉が流行していたのかもしれない。

後者は八月八日東京を出発して、二回戦魚津高に負け、八月十三日帰京するまでの日記がつづってある。

当時の明高の野球の強さを痛感してしまった。