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23号 昭和49年(1974年) |
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時代昭和45年から50年にかけて、赤軍を筆頭に様々な政治活動が起きている。この年、東アジア反日武装戦線という過激派が、東京丸の内を中心に連続企業爆破事件を起こした。 9ヶ月の間に12件の犯行を重ねてオフィス街の人々を震え上がらせた。 他には、フィリピンで元日本兵小野田寛朗氏が発見された事、名誉を残した巨人軍長嶋茂雄氏の引退、三木内閣の成立、オカルトブームと超能力者ユリ・ゲラー旋風などがある。 この年、ストリーキングが世界的な流行となった。 |
生徒会校長 福島 則雄先生担当先生 樋山 正士先生 生徒会長 柴田 智敬 昭和48年10月の文化祭は、予算が例年の3分の一と規模が縮小された。 しかし、後夜祭には500人もの生徒が残った。南志賀運営委員会、ハングル研究会が誕生した。 全国高等学校英語弁論大会で高Uの荒川明良君が優勝した。 中学高校合同競技会が始まった。 班会も成立した。 |
特集知る人ぞ知る、あの人がいなければ今の明治はないとまで言われ、我らの中に強くその印象を残す亡き我らが恩師松枝先生の半生を振り返り、激動の昭和という時代を立派に生き抜いてきた老教師(我が校の宝)がいなくなってしまったことを痛感した。また当時の街頭インタビューでは、明治高校の所在・名を知る人が少なく、巷では明明と呼ばれ、羊じゃないぞと言いたくなるくらい知られていなかった。 それは今でも、新聞沙汰になっても同じなのである。 |