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26号 昭和52年(1977年) |
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時代この年、また世間の人々を恐怖に落し入れた事件があった。東京高輪で青酸コーラ殺人事件が起こり、拾って飲んだ2人が死亡。 しばらくして青酸入りチョコも発見され、青酸カリ恐怖に包まれた。 他に、北海道では、有珠山が32年ぶり7度目の噴火。 日本赤軍のハイジャックが再び起こり、政府がまた要求を呑んだ。 野球においては、王貞治氏がハンク・アーロンを破る通算756号ホームランの記録(世界最高記録)を樹立した。 また残念なことに、エルビス・プレスリーがこの世を去った。 |
生徒会校長代理 麻生 平八郎先生過程顧問 吉田 貞男先生 生徒会長 川原 均 昭和51年9月渡り廊下が完成し、渡り初め式が行われた。 12月本校初の爆弾騒ぎが起こり、全校生徒が下校した。 51年度は班部編成が延期されたので、中一が在籍しないという事態が起こり、各班部とも、影響が大きかったようである。 これまで8回続いていたリーダースキャンプ゚が中止された。 |
特集この号では、大学への我が校からの進学について特集している。この時代においても、やはり明治大学への進学者が多い。 しかし、当時の付属生(今でもそうであるが…)は皆が行くから行くという保守的傾向が強かった。 そのような当時の様子を踏まえながら過程編集委員は付属であり受験がないのだから、学力だけではなく、人間的なすべての面での力量が必要であると結論づけている。 今でも、我々が今の現状を打破するような行動をしていない所を見ると、今も昔も明高生は変わらないのかとつくづく感じる。 |