32号 昭和58年(1983年)

時代

予知体制が整備されつつあるとは言え、火山噴火や地震の発生が日時まで予知された例はない。

三宅島、雄山の噴火も58年10月、突然に大爆発し、同島阿古地区が溶岩に覆われ住民の多くが東京都内などに避難。

島が元の生態系を取り戻すのに百年はかかるとも言われた。

5月には日本海中部沖地震が発生し、津波に覆われた沿岸では百余人死者、行方不明者を出し、余波は韓国沿岸にも達した。

昭和59年9月には、直下型の長野県西部地震で王滝村に大規模な土石流が発生。死亡、行方不明は29人。

生徒会

校長 中野 隆彰先生
過程顧問 松枝 正弘先生
生徒会長 北川愛二朗

知っている人は少ないと思うが、昭和58年に、「アウタースペースクラブ」という科学ではわからない事を調べたりする文化部が廃部となった。

この年から中学弁論大会が始まり、生徒会の会費が連続の赤字で、積立金が底をつき生徒会費が値上がりすることになった。

特集

この号では、「明高中の過去・現在・未来」について特集している。

内容は各先生にそれぞれの内容について述べてもらうという単純なものだが、なかなか読みごだえのある記事である。

その主な内容を述べてみると、田中先生などは昔の方が先生にしても、生徒にしても個性的で、活気に満ちていたと言っている。

確かに、そうかもしれない。

又、未来の明高を予想する文章では、将来完全に生徒会が先生達に掌握されると書いてある。

事実、現在その傾向にあるので、これから生徒達にそうならないよう努力してほしい。