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33号 昭和59年(1984年) |
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時代グリコ・森永事件は犯罪史上に残る特異な事件となった。「かい人21面相」を名乗る犯人グループが、グリコ社長を誘拐。 現金を要求したのが発端で、社会が魔手から逃れると青酸入り菓子をばらまくとの脅迫文を送った。 9月には森永製菓に矛先を変え、実際に青酸入り菓子をばらまいて一億円を要求。 森永側が徹底抗戦の姿勢を示すとハウス食品工業をはじめ計31企業に脅迫文を送り、警察やマスコミにも再三揶揄を込めた挑戦状を送りつける悪質さを見せたが事件は未だ解決されていない。 |
生徒会校長 保坂 吉彦先生過程顧問 松枝 正弘先生 生徒会長 田中 宏昌 この年に、中野隆彰先生に代わって前校長の保坂吉彦先生が校長に就任された。 この年の体育祭は、予定日に見事に雨が降ってしまい、順延され、順延予定日まで、雨が降り体育祭は中止となった。 しかし、運動会と名称が変わって、体育祭と同じことをやった。 |
特集この号には、残念ながら「特集」というものはない。「私の故郷」「われらが先生」がそれに当たるだろう。 どちらも先生への依頼記事である。 後者は先生の学生時代、女性関係、教育観などについてたずねている。 中でも岸先生の「初恋は敗れるためにある」や、小田島先生の10代で確立した「結婚は一種の事故である」という考え、安部先生の「私はまだ女性はよく知りません」という見え見えのウソなど面白いものがある。 しかし、故田村晴彦先生の「生徒諸君には死ぬまで先生と呼ばれるだろう」には胸にくるものがあった。 |